作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】肥前国(長崎県)出身師、石崎融思【略歴・作風など】長崎の町絵師であった川原香山の子として生まれ、後に石崎融思に師事。出島オランダ商館への出入りを許され長崎の風俗画や風景画を制作していたが、1823年にドイツ人医師シーボルトが来日すると彼の注文により精密な写実動植物を多数製作、また、シーボルト江戸参府に同行して道中の風景、風俗、人物を描写、シーボルト事件の後はシーボルトの後任医師ビュルガーの指示の元、同様の動植物画を制作。42年にオランダ商館員の依頼により長崎港図を制作しているが、この際船舶に熊本細川家や佐賀鍋島家の家紋を入れた事が国家機密の漏洩と捉えられて長崎を追放。以降は長崎半島の南端の野母崎に移り、田口と姓を変えたとされている。作品では日本画技法と西洋画技法を交えた画を描き、日本国内での現存は少ないがオランダ商館を通じてヨーロッパ各地に四散しておりその数は5000作を超えていると言われている。代表作に「玉突き(ビリヤード)図」、「オランダ船入港図」など〔印名〕「川原慶賀」など〔市場評価〕★★