作家资料
BIOGRAPHY淅江省鄣呉村出身師、任伯年篆刻家であった父に幼少期より篆刻を学び1856年22歳の頃に学問を究め各地の儒者として勤めその後も上海、杭洲などで呉雲、呉大徴、潘祖陰らと交友。また、画を任伯年に学んで本格的に開始、82年には蘇洲、ついで上海に居を構え篆刻と、画業で生活を始め94年に日清戦争が始まると呉大徴の幕客として活躍を示す。また、1903年には西湖畔に西冷印社を設立して社長に就任、以降は会社経営、画家、篆刻家を業とした。画風は西洋紅を用いた(中国人画家では呉昌碩が初めて用いたとされる)発色で品格ある個性的な力強い筆致を特徴として桃、桃、梅、菊、竹などのモチーフに自身の詩や書を付した作品を多く遺し山水の作品はあまり見られない。※現在は中国人画家の中でも絶大な人気を誇り市場取引価格も真作の場合、百万単位がざらであるが当時は中国では特に名が売れたということはなく日本の評価の方が高く日本で名前が売れた後(特に没後)、本国においても人気画家の一人となり、贋物も多数制作されている。〔印名〕「得在者昌」「安吉」「倉石」「無須呉」「缶廬」「虚素」「破荷亭」「俊」「石人」「呉俊卿印」「甓禅」「寒天一」「大聾」「木雉」「苦鐡無恙」「酸寒尉印」「季仙」「苦鐡」「常壽長」「雄甲辰」「半日邨」「鐡函山館」「梅花手段」「老缶」「缶主人」「昌鉢」「倉碩」「周甲後書」「阿倉」「湖州安吉縣」「長愁養病」「古桃州」「鶴壽」「一狐之白」「但吹竿」「呉俊長寿」「盆瓴」「美意延年」「倉翁」「古鄣」「染干蒼」「道在瓦甓」「老至居人下」「小名郷阿姐」「悪詩之官」「倉石道人珍秘」「抱員天」「一月安東令」など〔市場評価〕★★★★★