作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】伊勢(三重県)/古賀精里【略歴・作風など】津藩士の子として生まれ幼少期より学問に秀で江戸にて幕府の学問所である昌平坂学問所にて古賀精里の指導を受ける。1820年に藩に藩校「有造館」が開設されると講師として就任。その後、41年に郡宰、44年に督学の官位を受け、中国北宋朝の大学者・司馬光の著した歴史書である「資治通鑑」の翻訳や学問向上のために藩士の江戸派遣の推奨、種痘(天然痘のワクチン)の実施推奨など藩政に大きく貢献。55年に幕府は昌平坂学問所の教授に招聘する意向を示し、将軍家定に謁見を賜る栄誉となったが辞退して晩年は茶磨山(現:津市鳥居町)に別荘を作って詩文の著書や文化人との交流などして余生を送り、中でも頼山陽とは1821年に京都に遊学した際以来の親交を持ち著書作成などにも協力を得ていたとされている。〔印名〕「拙堂半隠士」「古香」「齋藤謙印」「有竹」など〔市場評価〕☆〔美年鑑評価〕50万