作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】秋田県仙北郡/平福穂庵、川端玉章【所属・任】帝国美術院会員、帝展審査員、帝国美術学校教授など【略歴詳細】12月28日生。平福穂庵の子。父、穂庵が14の時に亡くなったため翌年より百穂と号し17歳で上京、川端玉章に師事する。日本青年絵画共進会では「武尊誅梟師図」で3等褒状を受賞、また日本美術協会展では「義貞義兵図」を出品し2等となり宮内省買上となる。その後、明30年に東京美術学校に編入学、また明35年には洋画科でデッサンの勉強もする。大3年には大正博覧会に「七面鳥」を出品し3等を受賞、翌年第9回文展で「朝露」で宮内省買上となる。その後結城素明らと无声会を創立。自然主義を提唱。また結城素明、鏑木清方、松岡映丘らと金鈴社を結成し日本画の発展に貢献した。大11年には平和記念博覧会審査員、帝展審査員に推挙され昭4年私立帝国美術学校の教授に就任、翌年ローマ美術展に委員として派遣、欧州列国を遊学。昭7年に帝国美術院会員となる。主に写生画を得意とし、文展などを中心に活躍。東京美術学校の教諭として後進の育成にも尽力。又、短歌もよくしアララギ派の歌人としても活躍。斉藤茂吉などともよく交友した。10月30日55歳で没した。代表作に第11回文展特選作「予譲」など。代表作に第11回文展特選作「予譲」など。〔主な作品所蔵館〕山種美術館/角館町平福記念美術館/東京国立近代美術館/秋田県立近代美術館/宮城県美術館/三重県立美術館/茨城県近代美術館/世田谷美術館/富山県立水墨美術館/愛媛県立美術館/秋田市立千秋美術館/大和文華館飯田市美術博物館/佐久市立近代美術館/泰阜村立学校美術館など〔印名〕「百穂」「平福百穂之印」「百穂画」など〔市場評価〕★★★★〔美年鑑評価〕2000万