作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】京都出身師、中江藤樹【略歴など】野尻家の出自であるが8歳の頃に母方の祖父で滋賀近江八幡の熊沢家の養子となり以降、熊沢姓を名乗る。1634年15歳の頃に一時岡山藩主池田光政の児小姓役として出仕したが後に近江に戻っており同地の儒者中江藤樹に陽明学を師事。45年に再び岡山藩に出仕して藩校「花畠教場」で陽明学を講じるなど活躍、また51年には士分でなくとも教育が受けられる「花園会」を起草し後の日本初の庶民学校「関谷学校」(1670年)の開校につなげた。また、光政の補佐役として尽力を示し零細農民の救済や農業政策にも力を入れたが旧保守派との対立、また幕府の官学が朱子学であった為、陽明学は俗学と批判を浴び失脚。その後は京都、奈良吉野、山城、奈良郡山と転々と居を移しその場その場で己の学問を講じたが名声が高くなるにつれて幕府との対立が激しくなり1687年に古河城内に謹慎させられ91年に古河城内にて没。〔印名〕「蕃山」「熊澤繼伯」(「熊沢継伯」)など〔市場評価〕★〔美年鑑評価〕120万