作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】越前(福井)/【略歴詳細】徳川斉匡の八男として江戸城内の田安屋敷に生まれる。天保9年に福井藩主松平斉善の死去に伴い養子として迎えられ11歳で福井藩主となる。嘉永6のペリー来航で徳川斉昭、島津斉彬らと共に開国派に転じた。安政5不時登城の罪を問われて謹慎の処罰を受けた。文久2、新設の政事総裁職に就任し、徳川慶喜とともに京都守護職設置、松平容保の京都守護職就任、徳川家茂の上洛などの公武合体政策を推進する。元治元年には容保に代わり京都守護職に就任するも1ヶ月弱で退き、慶応3四侯会議を経て維新後は内国事務総督、民部官知事、民部卿、大蔵卿などを歴任。明治3に政権から退き23年小石川の自宅にて死去。幕末四賢侯の一人と謳われる。〔印名〕「慶永」「正弐位」(「正二位」)など〔市場評価〕★〔美年鑑評価〕