作家资料
BIOGRAPHY東京浅草出身成島家は幕府に仕える儒学者の家で祖父成島直司の時代から徳川代々将軍の記述を編纂した目録である「徳川実記」の政策を担当しており柳北もその仕事に従事していたが徳川家定、家茂らとの対立により解職となり、以降は独自に洋学を学ぶ。明治維新後は京都東本願寺の大谷現如のヨーロッパ視察団に参加して1872年に渡欧、その際岩倉具視、木戸孝允らの知遇を受けて以降交友する。帰国後は朝野新聞(1874〜93)の社長に就任して自らも洋学知識や雑録を投稿、自由民権運動や新聞紙条例などについても批評を掲載している。また、文芸界においても雑誌「花月新誌」を創刊、他の事業としては商法会議所(現:商業会議所)の設立にも尽力した明治時代を代表するジャーナリスト。〔市場評価〕☆