作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】新潟県北魚沼堀之内町/中村彝東京美術学校洋画科卒【所属・任】諏訪高等女学校非常勤教諭など【主な受賞】文展入選など【略歴詳細】6月5日生まれ。呉服商であった宮末八の6男として生まれ柏崎中学校(旧制)を卒業後、画家を目指し東京美術学校洋画科に入学。21歳の時に第8回文展に「椿」を出品するも落選。納得いかず理由を求め審査員の一人であった森鴎外を訪ねその後もそれが縁で知遇を得る。鴎外や高村光太郎、中村彝などに見守られるも愚直所以に極貧から抜け出せず、その後は大正4年の第9回文展に入選後、日本美術学院洋画部にて村山槐多、山崎省三らと共に学び、その後は新潟県柏崎また神奈川県平塚と移住。中村彝に師事し、曾宮一念と交友を結ぶ。大正12年には知人の進めもあり諏訪高等女学校(現諏訪二葉高校)に、彫刻家清水多嘉示の後任として赴任し、美術教師として多くの教え子たちに美術の本筋を教え、戦後は国画会出展を中心に自己の画境を進め、晩年にはエルサレムなどの聖地を巡礼し、後年の作品に残すも昭和46年、癌のため京都で没した。純粋で愚直な作品は独特の世界感で近年、その作品と生涯は再評価されている。〔印名〕「Y.MIYA」など〔市場評価〕★★〔美年鑑評価〕