作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】豊前国(大分県)出身師、広瀬淡窓、深水玄門【略歴など】矢野家に生まれ、16歳のころに豊後儒学塾「咸宜園」に入門して広瀬淡窓に師事するが、その後、21歳で同塾都講となり、また1844年には淡窓が高齢のため、また淡窓弟の広瀬旭荘が江戸遊学のため、淡窓の養子という形をとり広瀬姓を名乗って塾政を任された。1862年には塾を旭荘の子林外に任せて藩校遊焉館の教頭に就任。明治維新後の69年には京都学習院漢学所へ赴任するとともに、西園寺公望が御所内の邸宅に開校した私塾立命館に招聘を受け講じた。77年には東京華族学校の創立に関与し教授・監事などに就任。〔印名〕「廣瀬範印」(「広瀬範印」)「不樂醒何和」「世叔」など〔市場評価〕☆