作家资料
BIOGRAPHY1810年の「一対男時花歌川」という歌川派の浮世絵師紹介本において豊国門人として国久の名前が確認できるが、師の没後1825年に柳島妙見境内に建立された豊国の筆塚には初代豊国門人連名の中にその名はなく、代わりに二代豊国社中として国久女との名が残ることから一説に女流作家ではとの考察もある、しかしこの国久の名前は二代豊国の「風流東姿十二支」という揃作品にコマ絵を描いており二代豊国よりも先輩格であった初代門下の国久がコマ絵を描くなど当時として考えにくく、二人は別人であるとの考え方も有力である。国久自身の作品では肉筆美人画を多く手がける反面、錦絵の制作数は非常に少ないのが特徴的で画風は晩年の歌麿の影響を受けた面長の美人を得意とした。〔印名〕「歌」「國」(「国」)など〔市場評価〕★