作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】豊後国(大分県)出身師、亀井昭陽、広瀬淡窓【略歴など】広瀬桃秋の8男、または広瀬淡窓の末弟として生まれ、10歳のころより兄淡窓の家塾桂林園にて学び、さらに3番目の兄広瀬九兵衛の下でも詩文を学び、その後淡窓の後を継ぐために淡窓の養子となる。また、1823年には福岡の亀井昭陽にも学んで頭角を現し亀井塾の講師を任されるまでに至り、その後、豊前浮殿に開塾して独立、1830年に兄淡窓の容体悪化のため帰郷して兄の塾政を任されたが、36年に地元を離れて以降、大阪、江戸、また帰郷して大阪といった生活を繰り返し各地で私塾を開いて多くの門下を輩出した。淡窓が平明な詩を作ったのに対し,旭荘は感情の起伏の激しい、才気横溢した詩を多く残しており斉藤松堂や清国儒者兪曲園などから高く評価されたほか、記憶力に秀でて亀井塾の師昭陽からは生字典と称された。〔印名〕「広瀬謙印」「吉甫」など〔市場評価〕