作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】京都府京都市/岡本可亭、初代宮永東山【認定】重要無形文化財(人間国宝)認定を辞退【所属・任】美食倶楽部、星岡茶寮主催【詳細略歴】京都上賀茂神社の社家の家に生まれたが幼少期に木版師福田武造の養子となり以降福田姓を名乗る。また、少年期より書、篆刻などに興味を持ち仕事の傍ら独学にて習得していたが21歳の頃に上京して1904年日本美術展書部門に出品、1等賞を受賞となる。翌05年には岡本太郎の祖父でもある書家の岡本可亭に住込みの内弟子として入門、07年に独立して福田蘭亭(のち福田大観)と号した。その後一時朝鮮で印刷局の仕事をしていたが帰国後は15年に福田家を長男に譲り本姓であった北大路に改姓、魯山人と号すようになりさらに書画家として名前が売れだしたこともあり19年に大雅堂芸術店(翌年大雅堂美術店)を開業、また食の造詣を深め21年に美食倶楽部を開業、24年より陶芸家宮永東山の監修により倶楽部で使用する食器類を自作にて制作し始める。25年には麹町星岡茶寮、翌26年には鎌倉にも星岡茶寮を開業し料亭経営の総括プロデューサーとして経営手腕を振るっていたが36年に星岡茶寮を追われて以降は専ら陶器制作や絵画制作を中心に活動し多数の作品を残す。また、55年には重要無形文化財(人間国宝)認定の打診を受けたが辞退している。作風は自由奔放で形式に囚われない極めて重厚で大胆な造形を展開して信楽、備前、美濃などの土物から赤絵、染付、青磁などの磁器物まで幅広く制作してそれぞれに新しい解釈と可能姓を見出している。また、贋物の非常に多い作家の一人でもある。【注釈】注釈:氏が亡くなり印等は殉後四散状態になり、そのため本物の押印であっても、第三者が捺印し市場に出回っている例もあり、書印だけによらず品物の客観的検分と書体の独自の勢いを読み取るように心がけて鑑別することをお奨めします。(星岡窯印は、魯山人がデザインしたものを星岡の陶工が作成したもので、厳密には氏自身の手が入っていない作品と認識する説がある。)〔印名〕〔陶印〕「大観」「大観学人」「魯卿」「随緑草堂」「呂散仁」「ロ」「魯ロ」「夢境」「無境」「无境」「雅」「呂」など〔市場評価〕★★★★★☆〔美年鑑評価〕(日本画)700万