作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】京都/11代永楽保全【所属・任】千家職家(千家十職)【略歴・作風など】保全の長男。仁清をよく募り1852年に義弟・宗三郎(回全)と仁清窯跡に新たに永楽御室窯として開窯。のち天保14(1843)に父保全の隠居により12代永楽を継ぐ。その後、慶応2(1866)に、加賀大聖寺藩、前田利極に招かれ、九谷焼改良に宗三郎、子の常次郎(後の得全)と九谷永楽窯を開窯、6年間従事した。また保全の残した負債に苦しむなどもしたがその後も大きく尽力した。帰京後は1872(明治4)に姓を「永楽」に改姓(これまでは、姓は西村で通称として永楽)し、2年後には愛知県岡崎に招かれ開窯、主に金襴手、南京写し、呉須赤絵その他、洋食器など多方面に作陶。晩年は、洛東高台寺付近に移り菊谷(菊渓)窯を開窯。この頃より難聴になり自ら耳聾軒と名乗る。作品は、仁清写、金襴手、赤絵、交趾、青磁など幅広く、また保全は金泥を用いたのに対し金箔を用いて金襴するなどの独自の技法も築いた。5月7日、74歳で没した。〔印名〕〔陶印〕「永樂」(「永楽」)「菊谷」「九谷」「御室」「おむろ」「初釜」「大日本永楽造」「於九谷永楽造」「菊渓」「菊渓造」など〔市場評価〕★★★〔美年鑑評価〕800万