作家资料
BIOGRAPHY1711年洛東粟田に一文字屋忠兵衛が開窯、1805年青蓮院宮粟田口御所御用焼物師として出入りを許され「暁山」銘を拝領、以来、屋号「一文字屋」と通称「忠兵衛」、陶号「暁山」を受け継ぎ六代暁山まで製陶を続けたが1877年に廃窯となり、以降は親交のあった清水・五条の焼物問屋近江屋長兵衛に陶号「暁山」を譲った。また、84年ごろに服部の窯の後を継いで名村久次郎なる人物が一時期製陶したほか服部本家から分家・別家した嘉兵衛、左兵衛、勝兵衛の三窯があり、いづれも一文字屋暁山を名乗っていたが、三窯ともに明治年間に廃窯となっている。そうした状況の為、一時期には「暁山」を名乗る陶器業者が複数存在した物と思われるので注意が必要で陶印や描銘からはどの窯の作品なのかは判別しづらいが岡田暁山が輸出志向を示したのに対し服部暁山は家風を重視した伝統の粟田焼風の温和な作域で絵付けには京名所や草花図などを多く用い、飯茶碗や蓋物、小皿など食器類を多く焼成している。〔陶印〕描印/小判印「暁山」など〔市場評価〕☆