作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】佐賀出身【所属・任】宮中顧問官、松形内閣内務大臣、枢密院議長【略歴など】佐賀藩の儒学者枝吉南濠の子として生まれるが、同藩の副島利忠の養子となり以降副島姓を名乗り、その後京都に遊学して漢学・国学などを学ぶ。帰郷後、藩校致遠館の教授を勤めた後、自身も英学を修める。1967年には尊王の志を持って大隈重信らと共に脱藩を企て(すぐに佐賀に送還される)、明治に入ると1968年に新政府の参与・制度取調局判事を務め福岡孝悌とともに「政体書」起草に関与、また、71年には外務卿となりマリア・ルース号事件に寄与。73年には征韓論争に敗れて一時下野となるが翌年愛国公党の設立に加わり板垣退助らと共に民撰議院設立建白書を提出。78年には宮中に出仕して一等侍講を務め、その後、87年に宮中顧問官、88年枢密院顧問官、91年枢密院議長、92年松方内閣の内務大臣などにも就任した。〔印名〕「副島種臣」「副島之印」「種臣」「?徳居士」「一〃學人」(「一〃学人」)「茡然後知不足」(「字然後知不足」)など〔市場評価〕☆