作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】大坂島の内住のち江戸日本橋。【所属・任】【認定、受賞】【略歴・作風など】根付師、人形師、彫刻家。大坂に住み根付を家業にしていたが、その後江戸に上京し雛人形を中心に繁盛。それが仲間の嫉妬に合い天明6年、紫宸殿を模した雛の御殿飾りを販売したとしてお上より江戸所払いにあったと伝わる。また古今雛のスタイルを作り上げたと今まで定説されているが、現在はそれ以前にそのスタイルが現れており疑問が残る。2代は明和5頃初代の子として生まれ寛政から江戸後期にかけて江戸の雛の頂点に立ち名人と謳われた。画も得意で紫山の号を使った。鍾馗や大型の山車人形、五月人形を手がける中、精巧な小型の雛道具もすばらしい者を製作。現在でもコレクター間で高額に取引される舟月の雛道具はこの2代の作である。3代は、原金五郎といい1826(文政9)に2代の子として生まれ、幕末から明治にかけて舟月のお店(たな)を繁盛させた。しかし維新後は雛人形や山車の注文が激減しその副業として、ほとんどの工芸師がそうであったように、輸出用の置物や木彫、象牙を使った牙彫、根付を製作する。その後明治も安定期に入ると先代の作品の人形や山車などの修理を手がけたが明治32に没し、江戸一の人形師もこの代で廃業となる。しかし、その木彫、牙彫の技は弟子の川本州雲、州楽、その後の帝室技芸員になった竹内久一に受け継がれた。〔印名〕「舟月」など〔市場評価〕★★