作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】埼玉県深谷市出身師、斎木東玉、3代安本亀八【略歴・作風など】野口浅吉の子としてに生まれ17歳で日本橋人形町の市松人形師に弟子入して人形製作の道を歩むようになるがその2代東玉が若くして結核で病死、20歳の明豊はその後、生人形師として名声を博していた3代安本亀八に弟子入りし、その後独立する。人形界で歴史的な昭和8年の日本人形研究会に川上南甫、樫村瑞観、2代平田郷陽などと共に参加、翌9年の皇太子初節句献上にその中の名手5人の一人として選出される。また人形芸術運動により昭和11年には帝展で初の人形部門が開設し、その第1回入選に郷陽、鹿児島寿蔵、野口光彦等とともに「幼女」で入選を果たし昭和10年にはフランスへの人形親善使節として市松人形を製作。同13年には同盟国ドイツ工業博覧会に「袷」を出品し、ドイツ、ゲッペルスに寄贈された。昭和初期〜戦後までと一躍人形作家として名声を博したが、その後は趣味の俳句、後進の育成に努め昭和53年、85歳で逝去する。子息に日展評議委員、彫刻家の野口晴朗氏がいる。〔印名〕「明」「明豊」など〔市場評価〕★